[昔(2000年頃)、ここ「ラボ」ができる前に、メモ代わりに運用していた「電気仕掛けの箱庭」の記事を移転・一部現在にあわせて改変。]
インターネットが普及する前、パソコン通信なる物が席巻していた時代がありました。
当時のパソコン通信というのは、大手の商用通信ネットワーク系と、個人が開設していたミニBBS系に分かれます。大手の商用通信ネットワーク系というのは、先に説明したようなものですが、個人が開設していたミニBBS系とはどんなものでしょうか。これは、個人が自宅にコンピューターを設置し(この場合は、一般のパソコン)、その中で、BBSプログラムを稼働させ、ユーザーはそのコンピューターのある家に直接電話をかけ、電話線を介して利用するというものです。このような掲示板システムは、当時、結構多く存在していましたが、現在では、インターネット上のホームページ内で、同様のことが手軽にできるようになったため、ほとんど行われていません。
大手の商用通信ネットワーク系ですが、当時、二大巨頭といわれたのが、PC98の巨大なシェアを背景にPC98ユーザーを多数抱えたNEC系の“PC-VAN”と、アンチPC98ではないけれど、PC98系ユーザー以外を多く抱えた富士通系の“NIFTY-SERVE”です。これ以外にも、ASCII-NET、日経MIX、朝日NETなどがありましたが、主流は先に述べた二つでした。
当初、PC98パソコンの巨大なシェアを背景に、NECユーザを多く抱えたPC-VANが強かったのですが、その後、パソコン製造企業を問わない汎用機のDOS/V機、さらには、汎用OSのWINDOWS95の登場によって、PC98のシェアと売り上げが下がるとともに、NIFTY-SERVEが台当してきました。
パソコン通信の形態をのこしながらも、現在でも残っているのは、NIFTY-SERVEだけです。それら以外のものは、全て、インターネット登場とともに、サービスを停止したか、インターネットプロバイダへ衣替えをしました。(ASCII-NET、日経MIX:停止)(PC-VAN、朝日NET:衣替え)。当時のパソコン通信業界の流れからいって、NIFTY-SERVEからシェアをとるのは難しいとの判断で、新たなプラットフォームに乗り換えたというのが、ほんとのところでしょう。
ただ、パソコン通信業界でトップに立ったためか、その後のNIFTY-SERVE自体のインターネットへの対応と取り組みは、時代の流れから見ると、遅れることになります。